私があなたを好きになったとき、あなたは23歳でした。2014年。27歳のお誕生日おめでとう。
落雷に打たれた衝撃で、私は彼に落ちました。年末の歌番組でNEWSを見たとき、唐突に彼の顔がタイプであることを認めたのです。何がどうなってそうなったのかいまだにわからん。小池徹平が好きで、WaTが好きで、嵐が好きだったあの頃の自分。どう考えても、お前それ今までの比じゃないね?って熱量をもって、私は彼のことを好きになった。寝ても覚めても、三度の飯より、口を開けば、彼の話しかしなかった。ジャニヲタの担当制度を知り、彼が私にとっての担当なのだと思い、私が担降りするときはジャニヲタをやめるとき、最初で最後の最高の自担、と何度も何度も本気で思った。
2012年に私はこんなブログを書いています。本当はブログのURLそのまま載せようかと思ったんだけど、文章が恥ずかしすぎたので多少手を加えての再掲にする。このへんのブログが黒歴史すぎてだな。でも彼を真っ直ぐに好きだった頃の自分の言葉がそのまま残ってるから、なんとなく消せない。もう3年も前になる。
2012年1月
「まさか自分がゆうやにここまで深入りすると思ってなかった。好きになったら担当のことはなんでも知りたいって思うのも、担当に振り回されて一日過ぎ去るのも、最近ちょっと理解できる。担降りとかなんでできるの?って思ってたけど、いろんな形の担降りがあるんだなあと今は思う。彼の魅力を、もっといろんな人に知ってもらいたいっていつも思うの。身内だけじゃなくて。ゆうやはゆうやだから好きだけど、でもやっぱり最初ファンになった人がいろいろゆうやを知ろうとしたら、よくない噂も見かけるかもしれない。芸能人ってそんなもんだと思うけど、それでファンが離れていったら悲しい。もっと深く知ってほしい。自由だし、何しでかすかわかんないこともいっぱいあるけど、こんなにもいっぱいの愛をくれて、ファンを愛してくれて、アイドルであることにぶれない彼は、やっぱり私の中で、最初で最後の最高のアイドルは、彼だけだと思う。」
2012年3月
「入口が違えば、この人の担当にはならなかったかもしれない。まっすーに癒しを求めたくなるときもあるし、けーちゃんの優しさに触れたくなるときもあるし、シゲの不器用さが愛おしくなるときもある。でも、まぎれもなく私の入口は彼で、彼を好きになったからテゴマスとNEWSを知った。最初からこの人以外の担当なんてありえなかった。最初に惚れたのは顔で、次に惚れたのは歌だった。もうそれだけで私がこの人に惚れる理由はじゅうぶんだった。自由すぎて振り回されっぱなしだし、いいことばっかりでもないけど、いつだって全力で私たちと愛し合おうとする彼が、私の自慢の担当です。テゴマスとNEWSに出会わせてくれたのは彼で、愛し合おうねって言い続けてくれるのは彼で、義理とかそんな感情に近いかもしれないけど、この人だけは裏切れないし裏切りたくないって思う。」
重い。何があったんだってくらい重い。
彼が好きだ。彼が大好きだ。今でもこのインタビュー記事は読むたびに胸の奥がギュッとなります。
彼が先頭に立つグループを見てみたいと思った。彼がいるグループを応援したいと思った。
いつも強くありたい、弱さは見せたくない、そんな彼が好きでした。けっして弱さがないわけではない。あの日ジャニーズウェブの連載で彼が吐露した「離れないでね」「お願いね」という言葉を私はきっとずっと忘れられない。
いつだって真っ直ぐに思ったことを伝えてくれる。時には反感も買うかもしれない。何でもかんでも言葉にすることがいいとは限らないかもしれない。いろいろ考えたうえで話していない思いもきっとたくさんあるだろう。それでも、伝えなければならないと思ったときに、伝えたいと思った言葉を伝えてくれる。
私は彼が好きでした。
彼を追い続けた3年半が私の青春でした。
彼が引っ張るグループを、彼がいる世界を、これからもどうか私に見させてください。
手越祐也さん、遅くなったけど、27歳のお誕生日おめでとうございます。