私があなたを好きになったとき、あなたは23歳でした。2014年。27歳のお誕生日おめでとう。

 

岡田准一さん、34歳のお誕生日おめでとうございます!!!軍師官兵衛お疲れ様でした!!
どうか「大河の撮影が終わったら6人で旅行に行きたい」というささやかな願いが叶いますように。もしできることならばカメラも連れてってくれ。


 
さて。タイトルと冒頭が合いませんね。私が岡田くんを好きになったとき、彼はもう32歳でしたし、2014年で彼は34歳になったわけです。はい。今日は岡田くんの誕生日を祝いにきたわけじゃないんです。いや、祝ってんだけど。間違いなく岡田くんのことは祝ってんだけどさ。(本人不在で)
 
岡田くんの誕生日当日に一週間前に誕生日だった人を祝う暴挙です。
 
本当は11月11日ぴったりにブログ更新したかったんですよ。最近やけに「彼について語ってください」と言われていて、そのときは「語るも何も私はもう彼のことを注視していないから語ることがない」って寂しすぎる回答で逃げたんですけど、思えば彼についてちゃんとした言葉を残してこなかったことに気づいたのです。
いや、昔のブログ見たら彼の話しかしてないんだけどさ。彼のことを「ゆうくん」「てごにゃん」「にゃん」「にゃんぴ」と呼んでいた時代ですね。何の話してても9割「ゆうや大好きだーー!」で終わるブログですね。そんな時代が私にもあった。(遠い目)
彼について今思うことを書いておきたいとは思うのに、なかなか進まなくて、具体的な言葉が浮かんでこなくて、途中でやめてしまった。そんなことしてたら11日過ぎちゃったわ、そんなことしてたらお父さんモードに入っちゃったわで(完全に私情)書けずじまいだったんですけど、いつまでも最新記事がお父さんじゃアレなので(完全に私情)書こう、今こそ彼の話をしよう、と思った次第です。
いつもどおり前置きが長い。

 
私は彼が好きでした。アイドルである彼が好きでした。私は彼のせいでこの業界(ジャニヲタ界隈)に入ったのです。2010年12月。23歳になったばかりの彼が私の世界を変えました。大げさだろう。気持ち悪いだろう。自覚してるからいいことにしてる。
 

落雷に打たれた衝撃で、私は彼に落ちました。年末の歌番組でNEWSを見たとき、唐突に彼の顔がタイプであることを認めたのです。何がどうなってそうなったのかいまだにわからん。小池徹平が好きで、WaTが好きで、嵐が好きだったあの頃の自分。どう考えても、お前それ今までの比じゃないね?って熱量をもって、私は彼のことを好きになった。寝ても覚めても、三度の飯より、口を開けば、彼の話しかしなかった。ジャニヲタの担当制度を知り、彼が私にとっての担当なのだと思い、私が担降りするときはジャニヲタをやめるとき、最初で最後の最高の自担、と何度も何度も本気で思った。

 

 

2012年に私はこんなブログを書いています。本当はブログのURLそのまま載せようかと思ったんだけど、文章が恥ずかしすぎたので多少手を加えての再掲にする。このへんのブログが黒歴史すぎてだな。でも彼を真っ直ぐに好きだった頃の自分の言葉がそのまま残ってるから、なんとなく消せない。もう3年も前になる。

 

 

2012年1月

「まさか自分がゆうやにここまで深入りすると思ってなかった。好きになったら担当のことはなんでも知りたいって思うのも、担当に振り回されて一日過ぎ去るのも、最近ちょっと理解できる。担降りとかなんでできるの?って思ってたけど、いろんな形の担降りがあるんだなあと今は思う。彼の魅力を、もっといろんな人に知ってもらいたいっていつも思うの。身内だけじゃなくて。ゆうやはゆうやだから好きだけど、でもやっぱり最初ファンになった人がいろいろゆうやを知ろうとしたら、よくない噂も見かけるかもしれない。芸能人ってそんなもんだと思うけど、それでファンが離れていったら悲しい。もっと深く知ってほしい。自由だし、何しでかすかわかんないこともいっぱいあるけど、こんなにもいっぱいの愛をくれて、ファンを愛してくれて、アイドルであることにぶれない彼は、やっぱり私の中で、最初で最後の最高のアイドルは、彼だけだと思う。」

 

2012年3月

「入口が違えば、この人の担当にはならなかったかもしれない。まっすーに癒しを求めたくなるときもあるし、けーちゃんの優しさに触れたくなるときもあるし、シゲの不器用さが愛おしくなるときもある。でも、まぎれもなく私の入口は彼で、彼を好きになったからテゴマスとNEWSを知った。最初からこの人以外の担当なんてありえなかった。最初に惚れたのは顔で、次に惚れたのは歌だった。もうそれだけで私がこの人に惚れる理由はじゅうぶんだった。自由すぎて振り回されっぱなしだし、いいことばっかりでもないけど、いつだって全力で私たちと愛し合おうとする彼が、私の自慢の担当です。テゴマスとNEWSに出会わせてくれたのは彼で、愛し合おうねって言い続けてくれるのは彼で、義理とかそんな感情に近いかもしれないけど、この人だけは裏切れないし裏切りたくないって思う。」

 

重い。何があったんだってくらい重い。

たしかこのあたり、週一のペースで週刊誌に載ってた時期だったと思う。(病み具合から察するに)レギュラー誌かよ。週一て。
そして彼からの担降りをよく見た時期でもあった。主にツイッターの、主に私が知ってる人だけの話だから、なんの信憑性もないし確かな数字もないけど、体感として多く感じた。ジャニヲタの担当制度も担降り制度も、知らん人が聞いたらクソどうでもいいだろうし理解できない文化だと思うんだけど、ジャニヲタにとって担降りは一世一代の大決心なことが往々にしてあるってもう知っていたから、自分が彼の担当であることを改めて言いたかったし、改めて担降りはしないって宣言しておきたかったんだと思う。
 
まぁ……あの………しちゃったけどね担降り……(というか担昇り)…この2年後に……。理由はべつに週刊誌なんて下世話なものじゃなかったけどさ。でもこのときの自分の気持ちは今でも理解できるんだよ…。うん…。なんとも言いにくいけど…。

 
 
 
+act(2012年5月号)に映画『ホタルノヒカリ』の宣伝で彼が載ったことがあるんですけど、その記事がすごく好きなんですよ。
 
 
ジャニーズカウントダウンコンサート2011-2012での「愛し合おうね」発言
「それは伝えたかった言葉であり、あの場には先輩・後輩がいっぱいいる訳じゃないですか。みんないい意味でライバルだと俺は思ってるから。その中で一番俺らが勝てるところって、俺は“王子様”だと思うんですよ。あの1時間っていう番組の中で、一発のインパクトを残さなきゃいけない。だから自然とああいう行動に…俺はなったんですけど。なんとなくあの日で方向が見えたなっていうのは…俺はありますね」
 
▼NEWSの他の3人
「みんなね、優しいから…凄く。決めないんですよ。最終決定を誰もしないから。変な言い方だけど、ほかの3人がそういう性格だから、先導すれば同じベクトルに向いてくれる。きっと」
 
▼個人としての夢
「俺は、ジャニーズ事務所は日本一恵まれた環境だと思ってます。俺の職業は、歌手でもなく俳優でもなく芸人でもなく、アイドルだと思ってるので。何歳になっても、“アイドル”を続けていたいですね。何を要求されても、それを見たいと思って喜んでくれるんだったら、ちゃんとやる。マックスでやる。それを嫌がる人間にはなりたくないって思います。」

 

 

彼が好きだ。彼が大好きだ。今でもこのインタビュー記事は読むたびに胸の奥がギュッとなります。

彼が先頭に立つグループを見てみたいと思った。彼がいるグループを応援したいと思った。

いつも強くありたい、弱さは見せたくない、そんな彼が好きでした。けっして弱さがないわけではない。あの日ジャニーズウェブの連載で彼が吐露した「離れないでね」「お願いね」という言葉を私はきっとずっと忘れられない。

いつだって真っ直ぐに思ったことを伝えてくれる。時には反感も買うかもしれない。何でもかんでも言葉にすることがいいとは限らないかもしれない。いろいろ考えたうえで話していない思いもきっとたくさんあるだろう。それでも、伝えなければならないと思ったときに、伝えたいと思った言葉を伝えてくれる。


 

私は彼が好きでした。

彼を追い続けた3年半が私の青春でした。

彼が引っ張るグループを、彼がいる世界を、これからもどうか私に見させてください。

 

 

手越祐也さん、遅くなったけど、27歳のお誕生日おめでとうございます。